著者 : 小黒康正
今年はトーマス・マン生誕150年、昨2024年は『魔の山』が刊行されて100年目の年だった。これを記念してベテラン登山家一人と新進気鋭の登山ガイド四人がタッグを組んで、従来の研究について反省的に考察を深め、『魔の山』100年の彼方を問う論集を企画した。それぞれに複数のルートで登頂したが、未踏の新ルートがあるやも知れず。読者諸賢は今後も自らの新ルートを探し続け、『魔の山』に挑んで欲しい。 はじめに 第1部 登山案内 トーマス・マン略年譜/トーマス・マンについて/『魔の山』成立史/『魔の山』の主要登場人物/『魔の山』の邦訳/日本におけるトーマス・マン受容/文献一覧 第2部 『魔の山』ペーペルコルン・エピソードにおける「愛」と「終末論」/コラム 言葉の英雄/『魔の山』における有機体とフマニテートの関係/コラム 忘却と想起の物語/『魔の山』における耳を聾する音ー雪山、滝、そして戦場/コラム あれって老兵かい?/陶酔と夢の魔法ー『魔の山』の認識論/コラム 結びにかえて/編者・執筆者紹介
「世界最高峰の大作」登頂に挑む 20世紀ドイツ文学の最高傑作『魔の山』。作家トーマス・マンをノーベル文学賞に導いたとも言われる本作には、「生と死」「啓蒙とエロス」「秩序と混沌」「合理と非合理」がうずまく現実を前に、無垢な青年ハンス・カストロプが葛藤する姿が描かれている。「魔の山」とはいったい何を象徴しているのか。価値観が混沌とする世界で、人はどのように生きていけばいいのか。長大かつ難解な書として有名な世界文学を、余すところなく読み解く!
「私は呼び出しを受けている」。朝の八時前、この告白とともに一人の女性が住まいを出る。一九八〇年代のルーマニア、とあるアパレル縫製工場で働く「私」は、今日は自分に出会いたくないという屈折した気持ちを朝から抱く。国外逃亡の嫌疑をかけられたため、毎回十時きっかりにアルブ少佐の尋問に出頭しなければならならず、今日がまさにその日だ。(訳者あとがきより) 原題:Heute wär ich mir lieber nicht begegnet(今日は自分に会いたくなかったのに) あたかも、万華鏡の中に閉じ込められて、覗き見られながら、変転する自らの過去を追想しているかのような「私」。--監視下の窒息的な愛と時間の中に棚引く死の記憶。 推薦帯文 小説家 平野啓一郎氏
個人と集団の経験を牧歌的に混淆させ、「深い憂い」を断片的な個々の事物に刻み込めながら、独自の「歴史的な証言」を読者に追体験させる。それだけに、作品が犯す大いなる矛盾を、読者も敢えて犯さなければならない。チャウシェスク独裁政権下のマイノリティーの苦難。ノーベル文学賞受賞作家による「周辺」の文学。