著者 : 吉川英治
大作『新書太閤記』の1大分脈を成すのが本書である。秀吉といえども、独力では天下を取れなかった。前半は竹中半兵衛の智力を恃り、後半は黒田如水を懐刀(ふところがたな)とした。如水は時勢を見ぬく確かな眼をもっており、毛利の勢力下にありながら、織田の天下を主張。また、荒木村重の奸計に陥り、伊丹城地下牢での幽囚生活を余儀なくされながら、見事に耐えぬく。--若き日の如水を格調高く描く佳品。
弦之丞を恋するお綱、お綱を追うお十夜。弦之丞はお千絵を想い、お千絵は旅川周馬に迫られる。恋と剣のまんじ巴は、木曽から鳴門の汐路へとつづく。阿波藩を動かす勤王の大立て者竹屋三位卿は、弦之丞の前に立ちはだかる強敵であり、剣山の間者牢に年久しくつながれる甲賀世阿弥の死命をあずかる非情の人でもあった。いま、山頂の牢を前にして、幕府方、勤王派の最後の死闘が展開される。
謙信を語るとき、好敵手・信玄を無視することはできない。精捍孤高の武将謙信と千軍万馬の手だれの武将信玄。川中島の決戦で戦国最強の甲軍と龍攘虎搏の激闘を演じ得る越軍も、いささかもこれに劣るものではない。その統率者・謙信と彼の行動半径はーー?英雄の心事は英雄のみが知る。作者が得意とする小説体の武将列伝の1つであり、その清冽な響きは、千曲・犀川の川音にも似ている。
義経必死の腰越状も、兄頼朝の勘気を解く手だてにはならなかった。義経斬るべしの声は、鎌倉方の決意となってゆく。そして堀川夜討ちは、両者決裂の烽火であった。頼朝は大軍を率いて黄瀬川に布陣。運命の皮肉と言おうか、あのとき手を取り合った弟を討つための夜営になろうとは!この日から義経は失墜の道を歩む。波荒し大物の浦、白魔に狂う吉野山。悲劇は義経1人にとどまらない……。 時の流れが、頼朝・義経兄弟の溝を深くする。義経必死の腰越状も、頼朝の勘気をとく手だてにはならなかった。義経斬るべしの声は、鎌倉方の決意になってゆく。そして堀川夜討ちは両者決裂の烽火であった。
平家が西海の藻屑と消えてわずか半年後、武勲第一の義経は、それまで指揮下にあった頼朝の兵に追われる身となった。吉野から多武ノ峰、伊勢、伊賀ーー息をひそめて主従7人、平家の残党の如く生きる。静(しずか)を見捨ててまでの潜行につぐ潜行。義経はひたすら東北の空に仰ぐ。そこには、頼朝の最も恐れる藤原3代の王国がーー。人間の愚、人間の幸福をきわめつづけた吉川文学の総決算、ここに完結。 息をひそめて潜行する義経主従の行く先は? 平家が西海の藻屑と消えてわずか半年後、武勲第一の凱旋将軍義経は、それまで指揮下にあった頼朝の兵に追われる身となった。愛する静を見捨ててまでの潜行が続く。
他国者は容易に近づけない、密国阿波に潜入した幕府隠密・甲賀の宗家、世阿弥が消息を絶って10年。家名の断絶を目前にして、悲嘆にくれる娘のお千絵を見かねて、二人の男が阿波渡海をはかった。だが夜魔昼魔、お十夜孫兵衛、見返りお綱が二人の邪魔に入る。講談社創業80周年記念出版。
冷厳な隠密の掟ゆえに、お千絵と弥之丞の恋は許されようもない。といって、お千絵に執拗につきまとう旅川周馬の邪恋は迷惑至極。弦之丞も家を捨て恋を捨て、一管の竹に漂泊の旅を重ねるが、お千絵への思いはきっぱり絶っているだろうか。その弦之丞に隠密の命令が下る。阿波二十五万石の存立にかかわる大仕事が!無論、阿波藩士が手を拱いて待っている訳がない。弦之丞を取巻く蜘蛛手の網。講談社創業80周年記念出版。
日本のなかば以上を所領した平家が、いま寸士も失って、水鳥の如く波間に漂う。思えば、入道清盛逝きて、わずか4年後の悲運である。最後の夢を彦島のとりでに託して、一門の船団は西へ西へと向う。史上名高い那須余一の扇の的、義経の弓流しなど、源氏がわの武勇をたたえる挿話のみが多い屋島の合戦。著者は眼を転じて、追われる平家の厳島祈願に込められた、惻々たる心情に迫る。講談社創業80周年記念出版。
平家には、もう明日はなかった。さかまく渦潮におのれの影を見るごとく、壇ノ浦に一門の危機感がみなぎる。寿永4年3月24日の朝、敵味方のどよめきのうちに戦は始まった。だが、単なる海戦ではない。海峡の戦である。独特の潮相と風位の戦である。潮をあやつり、波に乗るもの、義経か知盛か。その夜の星影も見ず、平家は波騒に消えた。波に底にも都の候う、との耽美的な一語を残して。講談社創業80周年記念出版。
後の世、名奉行といえば第一に名前をあげられる大岡越前。だが、彼の前半世は決して人に誇れるものではなかった。元禄の悪風に染まり、水茶屋の女お袖との間に一女までなしたが、一緒にはなれない。やがて、彼が江戸町奉行へ抜擢された時、お袖の復讐が彼を待っていた。-みずから蒔いた種をみずから裁く人間大岡越前の苦悩。著者が戦後の混乱した世相に、深い想いを託して描いた意欲作。
平家追討の院宣ならびに朝日将軍の称号を賜わり、生涯最良の日々を味わう義仲。だが、彼の得意満面の笑みも次第に歪みはじめる。牛車の乗りかたひとつ知らない田舎そだちだから、殿上づきあいは苦手だ。相手は老獪な後白河法皇。義仲の凋落は水島合戦から始まった。反撃の平家、背後から襲いかかる鎌倉勢、加えて院方ーーと義仲は四面楚歌。さすがの一世の風雲児も、流星の如く消えてゆく。 一代の風雲児義仲も、流星の如く消えてゆく。平家追討の院宣と朝日将軍の称号を賜り、得意絶頂の義仲に訪れた落日は意外に早かった。反撃の平家、背後から襲いかかる鎌倉勢、加えて院方と、義仲は四面楚歌。
源氏の内輪もめが幸いして、都落ちした平家は急速に勢力を挽回していた。西海は一門の軍事力の温床、瀬戸内には平家の兵船が波を蹴たてて往きかい、着々と反攻の秋(とき)を窺っていた。わけて一ノ谷は天険の要害、平家自慢の陣地だった。加えて兵力では、平家は源氏の何倍も優位にある。しかし、地勢と時と心理とは、まったく平家に不利だった。義経軍の坂上からの不意打ちに算を乱して敗走する。 都落ちして半年、急速に勢力を回復する平家。西海は一門の軍事力の温床、瀬戸内には兵船が波を蹴てて往きかい、着々と反応の秋を窺っていた。わけて一ノ谷は天険の要害、平家自慢の陣地だったが……
一ノ谷の合戦から屋島の合戦までには、1年の月日が流れている。さきの合戦に大功をたてながら、なんら叙勲の沙汰もうけぬ義経。そしていったん任官後は、鎌倉に断わりもなく、と不興を買い、平家追討使の大役も範頼に奪われた義経。鎌倉どの差向けの花嫁も、彼の心を暗くする。だが、源氏は義経をまだ必要としていた。-西国攻めの範頼軍は備前児島に立往生し、平家軍が猛威をふるう。
打倒平家の旗のもとに鎌倉を進発した源氏軍と、意気あがらぬまま東下した維盛ひきいる頼朝征討軍。両軍は、富士川をはさんで対峙する。“水鳥の羽音”で敗走した平家には、著者一流の解釈がある。黄瀬川の陣で、末弟義経と初の対面をした頼朝。いよいよ活気づく源氏勢に手を焼く平家は、腹背に敵をうけた。木曽義仲の蜂起は平家一門の夢を劈き、北陸路もまた修羅の天地であった。
寿永二年は、源平それぞれに明日の運命を賭けた年である。ひとくちに源氏といっても、頼朝は義仲を敵視しているから、三つ巴の抗争というべきであろう。最初の勝機は義仲がつかんだ。史上名高い火牛の計で四万の平家を走らせた倶利伽羅峠。勝ちに乗じた義仲は、一気に都へ駈けあがる。京洛の巷は阿鼻叫喚。平家は都落ちという最悪の事態を迎えるが、一門の心と心は決して同じではない。
囚われの身ながら潯陽楼の風光に見惚れた宋江は、即興の一詩をそこに残したが、謀反人の烙印を押され、あわや刑死という寸前、晁蓋をはじめとする梁山泊の面々に救い出された。二丁斧を使う李逵や姦婦巧雲を成敗した楊雄も仲間に加わり、梁山泊の勢いは、日に日に旺となる。ここにその動きを警戒するのが、地元豪族の祝氏一族。ついに両者は激突し、悪戦苦闘の末、泊軍は勝利を収める。
最晩年の著者が、心血を注いで築きあげた壮大な中国絵巻!一騎当千の豪雄がそろい、民衆の与望をになって起つ梁山泊軍は、野火のごとく勢いを増す。権勢の人、高〓@42C6は、一万四千の大軍をもよおして泊軍を討たんとする。その秘密兵団こそ、連環馬軍であった。さしもの泊軍も色を失い、梁山泊始まって以来の大損害をこうむる。しかし梁山泊の智恵者は王手を逆にとり、難局を乗り切った。
もし頼朝が伊豆以外に配流となっていたとしたら、後の日本の歴史も変わったものになっていたに違いない。まことに奇しく伊豆、そして火の国の女・政子との出会いであった。さすがの佐殿も、政子の情熱に寄り切られたのである。ここに最大の被害者は、政子の父・北条時政であった。-一方、都に目を移せば、反平家の気運は次第に強まり、洛中洛外、不穏な兵馬の動きにあわただしい。