制作・出演 : グレン・グールド
ロマンに火がつかず苛立つウェーベルン、まるでスクリャービンのようにどろどろとうごめくラヴェルなど、グールドが決してすすんで演奏しようとしなかった作曲家の作品の未発表録音がベルクやクシェネックの名演と併録された、なんとも興味津々のCD。
グールドがご執心だった作曲家の1人にシェーンベルクがいる。解釈は調性の破壊者や20世紀音楽の創始者としてではなく、逆にロマン主義から連なる潮流の末裔としての捉え方。歌曲集だが、歌の存在感を超えてピアノが巨大な主張をするのは仕方あるまい。
グールドはバッハではチェンバロを強く意識して弾く。ノンレガートや装飾奏法などまさにcemの世界を思わせ、それがバッハの音の運動性をより鮮明にきわだたせていて、印象的なのだ。平均律などより親しみ易い曲だし、演奏だ。
グールドの一連のバッハ録音の1つ。幾度聴いても感銘新たな演奏で、これはグールドのバッハのレコードに共通していることだが、楽譜を自由に扱いながら、生き生きとして感興溢れる音楽を紡ぎ出している。装飾音の扱いだけとっても、聴き手をこれだけ楽しませてくれる演奏は稀だろう。
「月に憑かれた〜」のみ初めて発売されるもの。ディスク[2]は曲によってはグールドの個性満開という具合にはならないが、ディスク[1]は彼の個性が溢れている。どれも極めて内省的で繊細であり、時々彼の演奏に見られる、あまり病的な感じもない名演。
グールドの弾くベートーヴェンで、聴いて本当に面白いのはこれら初期の作品だろう。過去の様式やソノリティを引きずりながら、そこに収まりきらないロマンへの欲求を抱えた独自の音楽に、グールドの大胆かつ細心な企てが絶妙に絡んで楽しみが尽きない。
今や伝説となったデビュー「ゴールドベルク変奏曲」に続く録音がここに聴くベートーヴェンの最後の3つのソナタということもあり、「反逆精神」に溢れたフレッシュな力に溢れている。今はそれも「個性」として評価できる時代になったことを喜びたい。
バッハ演奏の福音書とでもいうべきグレン・グールドのバッハ。最近では神格化してきた兆しさえうかがえる。音の立った独特の硬質な音色と鼻歌まじりの唯一無二の解釈は、いつ聴いても鮮度が高い。パルティータ(全曲)は60年代前後の録音。併曲は貴重な演奏。
グールドのようにソナタでも楽章ごとにまったく違う弾き方をしないと気がすまないという人間にとって、この平均律はうってつけの曲だ。24曲、それもプレリュードとフーガを合わせて48種の実験がここに聴かれる。バッハがアヴァンギャルドになった。
1970,72年の録音。グールドについては多くの人の著作、文章があふれていてうんざりだが音楽は全く関係なく存在している。ここではグールドがハープシコードを弾いている。ピアノの時との違いについてなど書かない。賢明な読者の耳の楽しみのために。
我が国では1972年にリリースされたバードとギボンズのヴァージナル名曲選に加え、64年、カナダCBC放送のTV番組用に収録された初CD化のスウェーリンクのファンタジアが聴ける。対位法作品に著れたグールドの創造力の新しさが、改めて認識される。
いかにもグールドらしい奇抜なアイディアの上に、彼独特の即興性や詩情を加味した実に素晴らしいアルバム。曲順は慣用のものとは全く異なり、しかも2声と3声をそれぞれペアにして続けて演奏。有名なイ短調の2声などニコラーエワとは別の曲に聴こえる。
放送テープからのステレオでグールドの面白躍如だ。まず始めのAllegroはAndanteぐらいで田園のゆったりとした気分として結構いいではないか。だが次のAndanteの遅さにはついて行けない人もあろう。なんと20分、通常の倍の遅さだ。嵐は逆に全く速い。
グールドは、ソロのときだけでなく協奏曲の場合にも、彼独自の演奏美学を貫いている。デフォルメの限りを尽くしているというほどではないが、とくに、いくつかの緩徐楽章における強烈な旋律線とその立体感の実現などは、彼の特色を端的に示している。
グールドがコンサート拒否宣言をする前、20代後半の録音。グールド独特の音色やアーティキュレーションなどがこの時すでに現れている。曲のテンポや演奏のタッチもこの時点でかなり独特だが、1つの生き生きとした音楽が完成されている所はやはり天才だ。